【受験社会キーワード】国勢調査とは?どんな意味?

国勢調査の現在

「国勢」の読み方は?
こくせい
国勢調査はたくさんの地域に関係のある大切な調査です。
それはなぜでしょうか?
調査をもとに地方交付税の交付額を決めているから

地方交付税は、国税として国が地方自治体に代わって徴収し、地方自治体に再配分する税です。
各自治体の間の財政のバランスを取り、自主的で計画的な行政を運営するために大きな役割を果たしています。
この地方自治体への交付額の算定には、「地方交付税法」で国勢調査から得られる人口や世帯数などを用いることが定められています。
このほか、民主主義の基本である「選挙区の画定」や、「市となるための要件」など、国勢調査は多くの法令で利用が定められている、とても重要な調査です。

国勢調査の調査日はいつでしょう?
10月1日

国勢調査は調査年の10月1日午前零時現在で実施されます。
第1回(大正9年)国勢調査の報告書を読み解くと、「冬は積雪が深く」「夏は炎熱が激しく」「春は旅行遊山するもの多く」と秋季に絞られ、「比較的人口の分布が常態であり、全人口の大半を占める農業従事者にとってはかならずしも農繁期でなく、かつ1年の4分の3を経過した10月1日をもって、最も適当な調査の期日と決めた」と記載があります。
今日まで、全国一斉に行うこの調査日だけは変わっていません。

日本に何か月以上住んでいる外国人が国勢調査の対象になる?
3か月

国勢調査は、調査年の10月1日時点で、日本国内に3か月以上住んでいる人(または住む予定の人)全てが対象となっています。
これは外国人の方も同様です。
※ 外国の外交団や外国の軍人など、一部例外あり

国勢調査の外国語の調査票はいくつの言語に対応している?
27言語
国勢調査では、外国人の方が国勢調査の趣旨や記入方法を理解できるよう、27言語の「調査票の対訳」が用意されています。
さらに、令和2年調査では、英語・中国語・韓国語・ポルトガル語・スペイン語・ベトナム語の6言語は、インターネットでの回答が可能です。

※ 27言語:1中国語、2韓国語、3ポルトガル語、4英語、5フィリピノ語、6ベトナム語、7スペイン語、8タイ語、9ネパール語、10フランス語、11ベンガル語、12マレー語、13ヒンディー語、14ミャンマー語、15ロシア語、16シンハラ語、17ドイツ語、18モンゴル語、19アラビア語、20インドネシア語、21イタリア語、22トルコ語、23クメール語、24ラオ語、25ペルシャ語、26ルーマニア語、27ウルドゥ語

非常勤の国家公務員である国勢調査員の数は約何人?
約70万人
国勢調査は、全国で約70万人の国勢調査員が、担当する地域の世帯を訪問することにより実施します。
国勢調査員は、総務大臣が非常勤の国家公務員として任命します。
日本に住んでいる人全てが調査対象となる国勢調査では、非常に多くの国勢調査員が必要となります。
町内会や自治会からの推薦、前回調査の経験者からの選考、一般公募など、地域の皆様をはじめとするたくさんの方に国勢調査員の業務をお引き受けいただくことにより、調査の実施が支えられています。
直近の平成27年(2015年)国勢調査でのインターネット回答率は何%?
約37%
平成27年(2015年)国勢調査では、新たにインターネット回答方式を導入し、全国で約37%の世帯の方にインターネットで回答いただきました。
インターネット回答は、24時間いつでもどこでもお手持ちのスマートフォンなどからかんたんに回答できます。
また、インターネット回答することにより、書類を運ぶ際に発生するCO2や事務コストを減らすことができるなど、さまざまな良い点があるのがインターネット回答です。

丙午

平成27年(2015年)の人口ピラミッドで昭和41年(1966年)の生まれの49歳が大きく凹んでいるのはなぜ?
干支が丙午(ひのえうま)のため
昭和41年(1966年)の生まれの49歳が大きく凹んでいるのは、干支の「丙午(ひのえうま)」による出生減です。
丙午生まれの女性は気性が激しいという江戸時代から続く迷信により、出産を避ける夫婦が多く、昭和41年(1966年)の出生数は前年から25%近くも下がってしまいました。
60年に1回巡ってくる丙午。次は令和8年(2026年)です。

高齢者の人口割合

少子高齢化が進む日本、直近の平成27年(2015年)国勢調査で65歳以上は何人にひとり?
4人に1人
第1回(大正9年)国勢調査時、総人口の5.3%だった65歳以上人口割合が平成27年(2015年)調査では26.6%と、100年で5倍以上になり、4人に1人が65歳以上となっています。
また、日本の65歳以上人口割合は、2005年以降世界で最も高くなっており、2位イタリアの22.4%(2015年時点)を4ポイント以上上回っています。

国勢調査のはじまり

国勢調査の「国勢」とは、どんな意味?
「全国の情勢」を見る

「国勢」というと「国のいきおい」ととられがちですが、明治29年(1896年)に衆議院と貴族院で決議された「国勢調査ニ関スル建議」には「全国ノ情勢」と書かれています。
また、明治14年(1881年)に「国勢」という言葉を使い、統計院を設立したのは、大隈重信でした。
統計院の設立書には「現在ノ国勢ヲ一目ニ明瞭ナラシムル者ハ統計ニ若クハ莫シ(現在の国の情勢を一目でわかるように明瞭にできるものとして、統計に及ぶものはない。)」と、統計の重要性を訴えています。

第1回(大正9年)国勢調査の合言葉は「●●●の仲間入り」、さて、●●●に入る言葉は?
文明国

第1回(大正9年)の国勢調査は、計画から実施まで実に長い年月が費やされ、法律制定後からだけでも20年近くの年月を要しました。
それだけに、統計関係者はもちろんのこと、国民も「文明国の仲間入り」を合言葉に大変な意気込みでこの調査に臨みました。
名士による講演会、新聞の華々しい報道のほか、旗行列、花電車などの広報活動を展開、調査の行われた10月1日午前零時の前後には、各地でサイレン、大砲が鳴り、お寺やお宮では鐘、太鼓を鳴らし、文字どおり鳴り物入りのお祭り騒ぎで国を挙げての一大行事となりました。
出典:統計局HP「統計の黎明とその歴史」

明治時代、国勢調査を提唱した「日本近代統計の祖」ともいうべき人物は?
杉亨二(すぎこうじ)
杉亨二は、政治における統計の重要性を認識し、日本に統計を広めたパイオニアです。
明治4年(1871年)に設置された太政官正院の統計局前身にあたる「政表課」の大主記に任ぜられたことから、「初代・統計局長」といわれています。
統計教育の先覚者でもあり、「日本近代統計の祖」と称されています。
出典:統計局HP「統計の黎明とその歴史」
第1回(大正9年)国勢調査のリハーサル調査は現在の何県で行われた?
山梨県
国勢調査のリハーサル調査(試験調査)は、杉亨二によって甲斐国(現在の山梨県)において行われました。
これは、我が国の国勢調査を実施するにあたり、具体的な実施方法、調査の問題点、調査の経費などの大体の目途を知る必要があることから、「甲斐国現在人別調(かいのくにげんざいにんべつしらべ)」として明治12年(1879年)12月31日午後12時現在で実施したものです。
甲斐国が選ばれたのは「1県にして民数が少ない」「管内の人口の移動が比較的少ない」「東京に近く、指導、連絡等が便利である」ことが理由といわれています。
出典:統計局HP「日本近代統計の祖 杉 亨二」
第1回(大正9年)国勢調査実施時の内閣総理大臣は?
原敬(はらたかし)
フランスから人口調査の重要性を学び、総理大臣になって内閣に国勢院を設置し、初の全国的な国勢調査を実施したのが原敬です。
パリ公使館勤務時に「1886年人口センサス」をまのあたりにし、「人民の数が租税や行政の種々の法律を実施すべき基礎となることから、国勢調査は直接に立法上に関係を有する」と認識したのです。
大正7年(1918年)に総理大臣に就任、大正9年(1920年)5月に国勢院(臨時国勢調査局も管理)を設置し、初の全国的な国勢調査を実施しました。実施の翌年11月、東京駅で暴漢に襲われ、国勢調査の結果を見ることなく永眠しました。
出典:統計局HP「統計の黎明とその歴史」
第1回(大正9年)国勢調査で、東京、大阪に次いで人口が多い都道府県は?
北海道
第1回(大正9年)国勢調査における人口を現在の都道府県別にみると、1位 東京都(370万人)、2位 大阪府(259万人)、3位 北海道(236万人)でした。
北海道の人口は昭和45年(1970年)の調査で神奈川県と愛知県に抜かれますが、昭和40年(1965年)の調査までは上位3位内にランクインしていました。
第1回(大正9年)国勢調査で、外国人が最も多く住んでいた都道府県はどこ?
兵庫県
第1回(大正9年)国勢調査における外国人の人口をみると、1位 兵庫県(1.2万人)、2位 神奈川県(1.1万人)、3位 福岡県(9千人)でした。
なお、直近の平成27年(2015年)調査では、東京都、愛知県、大阪府の順で外国人の人口が多くなっています。
第1回(大正9年)国勢調査で多かった職業は?
農業
第1回(大正9年)国勢調査による職業別本業者に係る統計によると、農業が本業者全体の51.6%と圧倒的に多く、半数以上の国民が農業に従事していたことが分かります。
第二位は工業で19.4%、第三位は商業で11.6%となっています。第二位が工業となっているのは、大正3年(1914年)から大正7年(1918年)まで続いた第一次世界大戦とその後の復興のために、様々な製造業が発達したためと思われます。
出典:統計局HP「統計の黎明とその歴史」

国勢調査の変遷

人口の変遷

人口が1億人を超えたのは何年の国勢調査?
昭和45年(1970年)
東京、大阪の近郊に近代的な団地が多く建ち、大阪万博も開催された昭和45年(1970年)、国勢調査では人口が1億466万5千人となり、はじめて1億人を突破しました。
なお、直近の平成27年(2015年)調査の人口は1億2709万5千人であり、現在も1億人を超える人口となっています。

我が国の総人口が減少したのは何年の国勢調査?
平成27年(2015年)
平成27年(2015年)の人口は1億2709万5千人となり、前回調査から96万3千人減少、調査開始以来初めての人口減少となりました。
第1回(大正9年)調査以降、ベビーブームで大幅な人口増加があった年もあれば、戦争(死亡、海外転出など)やベビーブーム後の出生率の低下により人口増加が縮小した年もありましたが、平成22年(2010年)までは増加を続けていました。

国の最も重要な統計調査である国勢調査の実施を定めている法律は?
統計法
統計法は、昭和22年(1947年)に、官庁が作成する統計の真実性の確保、統計調査の重複除去、統計体系の整備、統計制度の改善発達を目的に制定されました。
当初は、もっぱら統計調査に関する基本的な事項を定めていましたが、平成19年(2007年)、統計を「社会の情報基盤」ととらえる新しい視点に立って全面的に改正されました。
国の行政機関が作成する統計や、実施する統計調査に関する基本的なルール、統計整備のための仕組みなどが定められおり、国勢調査の実施もこの統計法により定められています。

調査結果の集計に大型コンピュータが導入されたのは何年の国勢調査?
昭和35年(1960年)
昭和35年(1960年)の国勢調査で大型事務用コンピュータ「IBM705」が統計局に導入され、詳細な集計結果の充実が図られました。
特に、市町村合併に伴う旧市街地の人口を解明する「人口集中地区」の集計や、家族構成の変化を解明するための世帯集計に活躍しました。

平成17年(2005年)前後に実施された大規模な市町村の廃置分合は通称なんと呼ばれた?
平成の大合併
いわゆる「平成の大合併」により、平成17年(2005年)前後に多くの廃置分合が行われ、平成11年(1999年)に3,232あった市町村数は、市町村合併特例新法が期限切れとなる平成22年(2010年)3月末には、1,727となりました。
国勢調査では、通常の市町村別の集計に加え、平成12年(2000年)10月1日時点(平成の大合併前)の市町村境域による集計を行い、平成の大合併前の地域区分を用いて時系列比較ができるようになっています。

産業の推移

第3次産業(サービス業など)が第1次産業(農林漁業)を上回ったのは何年の国勢調査?
昭和35年(1960年)
第1回国勢調査が行われた大正9年(1920年)は、第1次産業が5割以上と最も高くなっていました。
第2次世界大戦後、高度経済成長に伴って産業構造が変化し、第1次産業は急速に低下しました。
一方、第3次産業は昭和25年(1950年)以降一貫して上昇を続け、昭和35年(1960年)に第1次産業を上回る割合となりました。

※ 第1次産業:「農業,林業」「漁業」/第2次産業:「製造業」「建設業」など/第3次産業:「卸売業,小売業」「医療,福祉」「宿泊業,飲食サービス業」など


女性の労働人口の推移

年代別に働くことができる女性の割合をグラフで描いたとき、20~30代の出産・育児の時期に一旦低下することを「●●カーブ」といいますが、●●に入る言葉は?
M字
いわゆる男女雇用機会均等法が施行される直前の昭和60年(1985年)と直近の平成27年(2015年)を比較すると、M字カーブの底は、昭和60年(1985年)は30~34歳となっていましたが、平成27年(2015年)には35~39歳となっています。
また、昭和60年(1985年)に比べ平成27年(2015年)はM字カーブの底は上昇しています。
このことから、女性の社会進出に伴い、過去と比較して女性の出産・育児をする年代が高くなっていることや、働き続ける女性が増えていることが読み取れます。

国勢調査のゆるキャラ

平成2年(1990年)に誕生した、国勢調査のイメージキャラクター「●●●●くん」。
さて、●●●●に入る言葉は?
センサス
「センサスくん」は、国勢調査が赤ちゃんからお年寄りまで一人の漏れなく調査しなければならないことから、未来の時代を担う赤ちゃんをイメージし、平成2年(1990年)に誕生しました。
世界各国で行われる人口センサス(国勢調査)にちなんで名づけられています。
なお、平成27年(2015年)には、インターネットによる調査の推進のため、新たに「みらいちゃん」が誕生しました。