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「なぜ物語が必要なのか」教科書本文を攻略
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定期テスト過去問【春に、立ってくる春、なぜ物語が必要なのか】
小説を書いていると、時おり、不思議に思うことがあります。なぜ人は繰り返し物語を生み出し続けているのだろう。言葉、というものを獲得した人間が、初めてお話を語り始めた時、そこで何が起こったのだろう。
私は勝手にある場面を思い浮かべます。狩りから帰ってきた男が、途中で出会った動物がどんなに恐ろしかったか、植物や空や水辺がどんなに美しかったか、家族たちに語って聞かせる。
皆、その声に耳を澄ませる。見たこともない世界に想像をめぐらせながら、お互い離れ離れになっていた時間を共有し、彼が無事に帰ってきた喜びをかみしめ合う。彼らの顔を焚火の明かりが照らしている。そんな場面です。
神話の時代から人間は物語とともに生きてきました。人が生きている限り、物語の歴史が途切れたことはありません。理屈では説明のつかない理不尽、いくら求めても答えの出ない疑問、人間の力を超越した自然、言葉など必要としない圧倒的な感動⋯⋯。そうしたもろもろを物語の形に変え、自分なりに受け止めることで、困難の多い人生を少しでも実り豊かなものにしようとしてきたのだと思います。いくら辻褄が合わなくても、奇想天外でも、物語の器は黙って受け止めてくれます。辛抱強く、魂の混沌に寄り添ってくれるのです。
苦しい現実を受け入れるための、物語の役割について考える時、ある一人の青年を思い出します。「犠牲(サクリファイス)わが息子・脳死の11日」(柳田邦男著)に登場する洋二郎さんです。文学を愛する感受性豊かな洋二郎さんは、精神の病に苦しみながらも、懸命に生きるための光を見いだそうとします。ある日の日記にこう記しています。
⋯⋯ぽくは行きの電車で、孤独な自分を励ますかのように、「樹水」が人為的な創造物の間から「まだいるからね」と声を発するかのように、その緑の光を世界に向け発しているのを感じた。
どこにも居場所を見つけられず、不安に押しつぶされそうになっている青年が、電車の窓に映る樹木と声にならない声で会話を交わしている。言葉を持たないものの声によって自らを励ましている。
その様子を想像するだけで胸がいっぱいになります。洋二郎さんの心の内には、彼だけの物出されていたはずです。彼と現実をつなぎとめるために、どうしても必要な物語だったのでしょう。
残念ながら洋一郎さんは自ら命を絶ってしまいます。脳死状態だった十一日間、父の柳田さんはベッドサイドで息子の日記を読み、樹木との会話の一節に、涙が止まらなくなります。それはこれまで理解してやることができなかった、息子の苦しみの真実にふれる体験でした。洋二郎さんの物語が、死者と生者に別れた親子を、つないだのです。
さて、私に初めて物語の力を教えてくれたのは、中学生の時に出会った『アンネの日記』でした。ナチス・ドイツに占領されたオランダで、アンネ=フランクは十三歳の誕生日に、父オットーから赤い格子模様の日記帳をプレゼントされます。ほどなく、ユダヤ人狩りから逃れるため、家族とともにアムステルダム市内の中心部にある隠れ家へ身を潜めたアンネは、密告により強制収容所へ送られるまでの二年あまり、そこで日記を書き続けることになります。
当然ながら、隠れ家での生活は不自由なものでした。学校へ通うことなおろか、外へ出ることさえできず、昼間は分厚いカーテンを引いて、物音を立てないようにしなければいけません。限られた空間での、まさに息のつまるような毎日です。しかも発見されれば命の危険にさらされるという恐怖が、常につきまとっていました。
そうした状況で書かれたアンネの日記は、普通の日記とは少し異なっていました。単に毎日の出来事を記すのではなく、感情を書きなぐるのでもなく、架空の友人、キティーに宛てた手紙として、自らの思いを綴るのです。
アンネは現実には存在しない人物を創造し、日記の中で彼女と会話を交わします。まるでキティーからの返事を受け取ったかのような気持ちで、新たなページを自分の言葉で埋めてゆきます。母親への不満、支援者への感謝、ペーターへの恋心、死の恐怖、将来の夢⋯⋯。胸にわき上がってくる全てを、キティーに語ります。
窮屈な生活の中、日記帳を開いている間だけは、思う存分、自由を味わうことができました。隠れ家に閉じ込められたアンネにとって、キティーのいる物語は、果てしない事由の世界そのものでした。
日記を読んだ時、書くことがこんなにも人の心を解き放つのかと、私は衝撃を受けました。書くという方法を使えば、自分も自由を得られるのだ。そう思い、早速、大学ノートを買ってきました。それが作家の原点になったと言えるでしょう。
私は彼女がキティーに語りかけたのを真似し、アンネに向かって悩みを打ち明けるように、友達関係の難しさや両親とのいざこざを、大学ノートに書きはじめました。時代も立場も飛び越えて、同世代の悩みを共有している気分でした。彼女との間に交わした空想の友情が、どれほど私の救いになってくれたか知れません。当時、私にとっての親友は、自分なりにこしらえた物語の世界に住む、決して会うことのできない少女だったのです。
十三歳から十五歳まで、隠れ家生活にあっても、アンネ=フランクの心は成長してゆきました。ただ反抗心をむき出しにするばかりてなく、こうありたいと願う自分の、本来の姿を静かに模索するようになっていました。たとえ肉体は狭い場所に閉じ込められていようとも、心はどこまでも豊かに深まってゆくのです。その事実を、アンネの日記は証明しています。
一九四四年八月四日、何者かの密告により、隠れ家の人々は連行されます。一九四五年、アンネはドイツの強制収容所ベルゲン=ベルゼンで、チフスのため命を落としました。家族の中で生き残ったのは、父のオットー一人きりでした。アンネの日記は一九四四年八月一日、火曜日が最後です。いつものとおり、親愛なるキティーへ、で始まり、じゃあまた、アンネ=M=フランクより、で終わっています。
樹木の声を聴いた洋二郎さん、空想の友人と会話したアンネ。二人とも自分だけの物語を作った、という意味で共通しているように思えます。論理的ではない、理性では説明できない世界が、彼らの安全地帯になっています。更に不思議なのは、最初は彼らだけの物語だったものが、時を経て、無関係なはずの私にも深い感動をもたらしている、ということです。物語には時空を超え、人の心をつなぐ役割があるのでしょう。だからこそ、個人の物語は文学へと生まれ変われるのです。
物語は作家だけが書いているのではありません。本当に大切な真実は、混沌とした内面の暗闇に沈んでいます。その目に見えない何かに光を当てる一つの方法が、物語に身を置くことなのだと思います。底知れない自由と許しを持つ物語という器を持ってさえいれば、人間は個を解放することができます。他者の物語にふれれば、どんなに立場が異なっていても、その人の心に深く寄り添えます。
人間は誰しも、自分の物語を作りながら生きています。そうでなければ、生きてゆけないのです。
テストで9割以上が取れるコツ
1、学校のワーク(問題集)をテスト1週間前までに解き終わり基本を身につける。
2、定期テスト過去問を解く。
3、入試問題(正答率20%以下)を解く。
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